そして、入院の日々

 

        そして、朝がやってきました。

        入院1日目です。(手術当日は、入院日には入らないんだそうで)

 

        殆ど眠れぬまま時計と睨めっこしておりましたが、それでも明けぬ夜は無いと申します。

        消化器外科、通称3−A病棟の朝は、5時半に夜勤明けのハイテンションの看護士さんの

        「お早うございます!お熱計ってくださいね!」

        から始まります。

        各室回って言っていくので、兎に角1回は起こされます。

 

        最もこの朝の私は、計器類に縛り付けられておりましたので、看護士さんが体温計を腋に入れて

        ってくれました。

        ついでに右腕の血圧計と脈計るクリップ、胸の心電図用クリップも取ってくれまして。

        腕が自由になりました。

        体温は、微熱。計ってしまうとやることも無く、またうとうとと・・・・。

        すると今度は、

        「お早うございます、お茶ですよ」

        ヘルパーさんが、朝のお茶を配りに。

        はっきり言って・・・・・これが飲めたらとどんなに願ったか。

 

        が、しかし。

        私の点滴棒の上には「禁飲食」のプレートが。

        「ああ、ごめんなさい。まだ駄目なのね」

        ヘルパーさんは言い、私も(声出すと喉が痛むんで、管入ってるから)腕でバッテンしました。

        ちなみにこのプレート、もう1種類ありまして。「飲み物可」、水とお茶とウーロン茶とポカリのみ可。

 

        やることも無く、再びボーーっとしておりました。病室のドアは開け放してあって、衝立を目隠しに

        置いてあったんですが、隙間から廊下が見える。

        早足の看護士さんやヘルパーさん、点滴棒につかまって歩いてく患者さん。

        見るとも無しに見ておりました。

        やがて、朝食の匂いが。

        食欲なんか、かけらもありませんでしたが・・・・飲み物が欲しかった。

        唇はガサガサを通り越して、ベロベロでした。

 

        そうこうしてるうちにアナウンスが、

        「回診の時間です、患者さんはベッドに戻ってください」

        院長回診ですか、これも初めての経験ですわ。

        ドラマなんかで、よくあるあれですね。そして現実は・・・・・。

        ドカドカドカって感じに、医者と看護士の集団がやってきて。入りきれない方々はドアから首を

        突き出して。ドラマのまんま。

        違うのはですね、院長がどこかの魚屋のおっちゃんか飲み屋の亭主に見えたこと。べらんめぇ

        口調でやられました。

        「おう、お前さんがあの△△内科から紹介された奴か。メシ良く噛んで食わないから、色々やばく

        なるんだぞ。これ読んどけ、それとこれお前さんの腹から出した奴の写真な」

        院長が立て板に水って感じに喋ってる間に、先生たちが腹の傷消毒したりやってくれて。

        「ああ、もう管もはずしていいぞ。後は歩けよ」

        鼻の管と足の裏のパコパコを外してもらって、そしてご一同様は嵐のように去っていったのでした。

 

        正直、何が起きたのか寝不足と痛みに疲れた頭には、理解が追いつかず。でもその後、

        「尿カテーテル外しますよ、トイレ行きたくなったらナースコールしてね。頑張って歩いてね」

        看護士さんに最後に残ったカテーテルを外してもらって、点滴以外の機器から開放されました。

 

        で、まあしばらくぼんやりしてたんですが。何しろダンサーってのは困ったもんで、じっとしてると

        すぐ退屈してしまう。

        ちなみに、歩けと言われた時反射的に思ったこと、

        (1)・・手術から1日も経ってないのに歩けなんて、ここのスタッフ鬼だ。

        (2)・・わーーい、歩いていいんだ、嬉しいな。

        ・・・・・・・ご想像通り、(2)です・・・・。

        そんなわけで、2時間程でナースコールを押した管理人でした。

 

        看護士さんは、すぐ来てくれました。

        「トイレね、一緒に行ってあげるから起きてみて」

        って・・・・介助無しですか、一人で起き上がれと。いや、電動ベッドなんでリモコンで起き上がって

        くれはするんですが、後5センチってとこで自力で起き上がることに。

        これが痛い、ので腕を使う。が・・・・例の腱鞘炎が・・・・。

        ああ、それでも患者を甘やかさない看護士さん。私も必死で起き上がり、

        「貧血起こしてない?クラクラしないかな、大丈夫そうだね」

        はいー???ここでも甘やかし無しですか、自力で(点滴棒にすがって)歩くのに横についてきて

        くれるだけですか・・・・。たかが5メートルの距離の長いこと。

        そしてトイレでも、

        「これ、あなたの容器ね。これに尿を取ってこっちの袋に入れてね、毎回ちゃんといれてくださいね。

        途中で気分が悪くなったら、コールボタンがあるから」

        フラスコみたいなカップ渡されて、一人残されました。

        ちなみにこの尿集め、点滴で入れた分が出てるかどうか確認する為と後で聞きました。時折そっち

        に不全が出ることがあるんだそうで。

        でもこの時には、採尿かしらと思って少ししか取らず、看護士さんを慌てさせた管理人でした。

 

        まあ何とかやることやって、即病室に帰るのもなんだったんで少し歩いてみることに。

        病室とは反対側に歩いていくと、ナースステーションとロビーがありまして。そこを時計と逆回り

        に回ると小さなループ描いて、また病室へと戻れます。これを小ループと名づけました。

        たかが20メートルほどの小ループ、5分かけて息も絶え絶えにベッドへと戻った私。

        記念すべき、手術後の初歩きでございました。

 

        が、ここで気が付いたことが。電話しなくちゃいけないところが、幾つか。

        日曜日なんで、仕事関係は次の日にするにしろ、親戚友人関係には無事帰還を報告せねば。

        幸い鎮痛剤入りの点滴を、看護士さんが入れてくれたんで少しはマシ。

        なので、1時間おきに10分くらい歩くことにいたしました。よたよたしつつも、1階の売店まで行って

        テレカも買いました。いやね、病院の電話が全部テレカ用で、携帯の方は充電が心配で。何しろ

        携帯の番号帳が全ての電話番号を調べる元でしたから。

        腹に響いてかなり辛かったけど、電話もかけて。

        しかもそうやってうろついてたら「歩け歩け同盟」の顔見知りも出来た。

        そして何より・・・・・手術後の必需品(?)、ガスも出た。

        腹は、運動が足りてるらしくグルグル言いっぱなしでございましたことよ。

 

        でまあ、入院2日目。

        大して眠れはしなかったけど、昨日の機械に囲まれた目覚めよりずっとマシと自分に言い聞かせ、

        朝一で小ループを何周か。いや、これが辛いんですわ。朝は鎮痛剤が切れてるし、じっとしてた

        からあちこち固まってるし。でも歩く、ダンサー止まった時が死ぬ時です。

        なーんてかっこつけても、痛いもんは痛いんですけど。

 

        この日の院長回診で、飲み物許可が出た。明日からは重湯も出ると。

        嬉しさのあまり、痛かろうが何だろうが売店まで遠征し、ポカリ購入。口を湿らす程度に、一口。

        あり・・・・・?美味しいんだけど・・・・後で口の中が、ベタ甘。気持ち悪い。慌てて今度は水を

        買いに。そして・・・ポカリ一口、水で口を洗う。って感じになりました。

        そして、鎮痛剤は夜までお預けのお達しで、これはきつい。

 

        夕方お見舞いがございました。

        スタジオの責任者の先生と、受講生代表(ってわけでもないか)。

        1時間ほどお喋り、腹に響くもののやはり嬉しかったんで。

        その後、叔父夫妻が来てくれて。

 

        退院してから気が付いたんですが、他の患者さんたちは手術の時家族の方たちがロビーで

        待ってますし。お見舞いって言うか、洗濯物など取りに毎日誰かがやってきてました。

        私にはそれはありません。いや、一人で生きてくのを選んだのは自分だからいいんですが。

        それに気が付きもしなかった自分が、強いんだか鈍いんだか。

        はっきり言って、呆れたのは否めません。

 

        で、3日目。

        夜中の傷消毒の時、何周か歩いた私。何故なら、まだ鎮痛剤が効いてたから。そして多分これが

        最後の鎮痛剤だろうと見当付けてたし、ならば少しは楽に歩けるだろう最後の機会と、こう考え

        たんですね。

        はい、大当たりでした。この日から鎮痛剤入り点滴は、支給されなくなりました。

        どころか、点滴は大2本、小2本。栄養点滴と抗生物質入り点滴です。ので、朝の内、点滴が

        腕から外されました。この間に、やることやらねば。

        階段上り下りエクササイズ。これは点滴棒が付いてたら、絶対出来ませんので。

        痛かったです、ええ痛かったですとも。

        一番の原因は、まだ腹に入っていたドレイン(チューブです、膿出し用の)が、腹の中で揺れる度

        痛みが走るんです。・・・・・・無視よ、無視!

        このドレインの所為で、この頃の私の一番楽な姿勢は立ってることでした。だってそうすれば、

        腹の中のドレインが、どこにも引っかからないんで。腹の底まで入ってたんです、これ。

 

        予告どおり、朝食に重湯が出ました。

        重湯(おかゆの上澄みですな)、味噌汁(具無し)ジュースにプリン。

        良く噛んで、とのお言葉つき。

        噛め・・・とな。液体ですが、お盆の上のもの全部。

        まあ、噛めと仰るなら・・・・噛みました。一口30回。疲れました、本当に。

        普段なら30秒掛からずに食べ終わって、というか飲み終わってしまう量を、20分かけて終了です。

 

        昼間付いていた点滴も、夕方には取ってもらって夜が楽になりました。

        明日からは三分粥ですと。

 

        4日目です。

        今朝から三部粥、本来なら点滴が終わるんですが。私の傷の化膿の所為で、抗生物質を入れね

        ばならず、従って普通の点滴も2本入ることに。看護士さんが済まなさそうに言ってきたけど、

        仕方ないわな。

        で、この三部粥ですが。つまり流動食という奴ですな。おかずがですね、どこをどうミキサーに

        かけたらこうも見事に粉々になるんだろう、というくらい見事なドロドロでした。メニューみたいな

        メモが付いてたけど、跡形も無いってのが正直なところでした。

 

        この日、昼から大部屋(と言っても四人部屋)に移動。2人の方とは、歩け歩け同盟でご一緒して

        たんで、即なじむ私。

        そしてこの日から、大ループを歩くことに。

        私の入っていた3−A病棟から、3−B病棟までの周遊コースです。小ループの10倍くらいの

        距離がありますので、歩き甲斐もあったりして。

        電話かけたり歩いたりゲームしたりで、この日は終わりました。

 

        そして、この病院。お見舞いメールを受け取って、プリントアウトして届けてくれる親切HPを持って

        まして、この日何通かお見舞いメールを受け取った管理人でした。

 

        5日目、受難の日々は続く。

        食事は五分粥に。内臓は順調に回復、でも炎症と化膿が止まらないと。

        この日、売店でパジャマを購入。高かった、でも仕方ないんです。持ってきてくれる人もいないし、

        歩くのに着物型の病衣は不便で。

        点滴が取れたのを幸いに、バーレッスンを一くさり。ええ、ドレインが痛かったけど、それが何か?

        足の裏が床を滑る感触に、すごく感激してる私がいました。

 

        ちなみに、バー代わりにしたのはナースステーションのカウンターでした。

        ウォーミングアップに大ループ4周くらいやって、その後バーレッスンが決まりとなりました。

 

        6日目、そろそろ・・・。

        ドレインが抜けました、というかもうドレインからは膿が出なくなったんです。

        ホチキスも外してもらいました。

        この日は、それらの所為か傷が痛んで。

        ポールドブラしつつ、廊下を歩いてウサ晴らし。

        後日聞いたんですが、この頃看護士さんと先生の間で、こんな会話があったそうです。

        「帰りたいって言っても、家に帰ったって痛くて何もできないだろ」

        「あら、先生。彼女もうレッスンしてますけど、ロビーで」

        先生、絶句してたそうです。

 

        7日目、夜中にひどい目に。

        同室3人のうち、一人だけ仲間はずれになってる気がしてて、でもまあその人は毎日旦那が見舞

        に来てるから気にしてないみたいだし。何て思ってたら・・・・夜中に理由がわかった。

        恐ろしいことにこのバーサン、念仏唱えてんのよ夜中中。私この夜まで気づかなかったんだけど。

        いやー、不気味でした。

 

        さて、駄目元で外出許可を申請したら、OKが出たんでタクシーで一時帰宅。ストレッチの効く洋服

        とか、ジャズダンスシューズを運びました。

        昼間パジャマ着てるの嫌だったし、ストレッチパンツならバーレッスンしやすいし。

 

        8日目、そろそろ、我慢が。

        精神安定剤のおかげで、念仏聞かずに済んだ有難さ。

        この日、朝の回診で先生曰く

        「まずいな、この傷の色」

        やーな予感。

        「膿、溜まってるな。出しちゃおう」

        はいー??どうやって?

        搾り出されました・・・・・、痛いとこ探してそこをぎゅぎゅっと。私は牝牛では、無い!

        そして退院予定は・・・・・・出ない。

        グレた私のプチ脱走が、始まりました。目指すは駅の向こうの某、Book Off。

 

        この後、切れた私が半分ヤケで自主退院をかますまで、5日。

        検査でも、まだ駄目の結果しか出ず、かといって病院内でやってるのは、消毒のみ。

        外出もすぐ許可出るし、ならなんで通院にしてくれないんだと、ヒス起こしたのが入院2週間目の

        夕方でありました。

        

        結果として、通院1週間して。その後2週間あけて検査して、異常無しが出ました。

        管理人、一応忍耐力はあるほうだと思ってたんですが、どうやら自分が納得してない規則に

        則って生活できるのは、限界があるようです。

        まあだから、ダンサーなんて仕事を選んだわけですが。

 

        これまで身体、特に内臓にはなんの異常も無く過ごしてきて。手術も入院もしたことなくて。

        そういった意味で、結構傲慢だったんですが。

        少しは身体の弱い方たちの気持ちも、わかったかも。

        これも経験と受け止めて、先に進むことにいたします。

        長々、お付き合い有難うございました。

 

 

        ちょっとおまけです。

        偶然ながら、やっていてラッキーだったこと。

        ・スキンヘッド・・・風呂入れない生活で、蒸しタオルで身体と一緒に清拭できた。

        ・禁煙・・・・言わずもがな。

        感動した、と言うか呆れたこと。

        ・私の心臓・・・痛みで朦朧としようが、発熱して震えていようが、上は115から100をキープ。

                 下は70と頑張りまくった。

                                   2006/4/26       reiko

        

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